エルヴィス ラブ・サウンズ・ツアー に参加して 1/2 [海外旅行]
エルヴィス ラブ・サウンズ・ツアー に参加しました。
と言っても38年前の話です。たまたま先日のブログ記事でエルヴィスの曲をご紹介したので急遽当時のフイルムを探し出してエルヴィスねたを。古い話でスミマセン。
エルヴィスが1973年1月にハワイで行った慈善公演「アロハ・フロム・ハワイ」は全世界に衛生放送されたので、ある程度ご年配の方ならご存知の方がいらっしゃるかも知れません。実はその前年の1972年11月にリハーサル的にハワイ公演が行われる事になったのです。それでなくても飛行機嫌いのエルヴィスがハワイまで来てくれるので、これは是非行かねば。 その後5年もたたずに亡くなってしまうとは夢にも思いませんでした。
そんな事でconta青年は入社3年目に休暇を取ってハワイに駆けつけたのであります。その後上司に嫌われ半年後の異動で札幌に転勤となったのですが、そんなこと全く悔い無しなのです。
そのツァーの主催はなんと日本テレビで、タイトルの「エルヴィス ラブ・サウンズ・ツアー」と言うのは、その時のツァーの名称です。
下の写真がその時のツアー予定表とバックに付ける専用のタグです。
クリックすると若干大きくなります。
ツアー旅行費用は13万円前後だったと思います。当時の給料が5~6万円ほどでしたので、今の感覚だとおそらく30~40万円ほどになるかも知れません。
このとき初めて飛行機と言うものに乗ったのですが、今は無きパン・アメリカンのジャンボでした。
宿泊先はワイキキビーチにあるヒルトン・ハワイアンヴィレッジ・レインボウ・タワー423号室で、偶然にもエルヴィスもその最上階に泊まっていることが分かりました。中には、様子を見に行って追い返された人もいたようです。
ホテルから見えた虹続く・・・・
と言っても38年前の話です。たまたま先日のブログ記事でエルヴィスの曲をご紹介したので急遽当時のフイルムを探し出してエルヴィスねたを。古い話でスミマセン。
エルヴィスが1973年1月にハワイで行った慈善公演「アロハ・フロム・ハワイ」は全世界に衛生放送されたので、ある程度ご年配の方ならご存知の方がいらっしゃるかも知れません。実はその前年の1972年11月にリハーサル的にハワイ公演が行われる事になったのです。それでなくても飛行機嫌いのエルヴィスがハワイまで来てくれるので、これは是非行かねば。 その後5年もたたずに亡くなってしまうとは夢にも思いませんでした。
そんな事でconta青年は入社3年目に休暇を取ってハワイに駆けつけたのであります。その後上司に嫌われ半年後の異動で札幌に転勤となったのですが、そんなこと全く悔い無しなのです。
そのツァーの主催はなんと日本テレビで、タイトルの「エルヴィス ラブ・サウンズ・ツアー」と言うのは、その時のツァーの名称です。
下の写真がその時のツアー予定表とバックに付ける専用のタグです。
クリックすると若干大きくなります。
ツアー旅行費用は13万円前後だったと思います。当時の給料が5~6万円ほどでしたので、今の感覚だとおそらく30~40万円ほどになるかも知れません。
このとき初めて飛行機と言うものに乗ったのですが、今は無きパン・アメリカンのジャンボでした。
宿泊先はワイキキビーチにあるヒルトン・ハワイアンヴィレッジ・レインボウ・タワー423号室で、偶然にもエルヴィスもその最上階に泊まっていることが分かりました。中には、様子を見に行って追い返された人もいたようです。
ホテルから見えた虹続く・・・・
エルヴィス ラブ・サウンズ・ツアー に参加して 2/2 [海外旅行]
ツアーの参加者は個人参加の方が多かったのですが、皆さん同好の士なので、前からの友達のように打ち解けてほとんど連日徹夜状態でした。
会場となった「ホノルル・インターナショナル・センター」はホテルから車で20分ほどのところでしたが、conta青年は車で会場に乗り付けようとレンタカーを借りたのです。写真は事前に下見に行った際撮ったもの。右側のドームのような建物が会場で、車の前に写っているのが若き日のconta青年です。今は見る影がありません。
この建物がホテルの駐車場
当時のパスポートと運転免許証
さて、肝心のステージですが、1972年11月17日の夜の部と18日の午後の部、夜の部と3回公演だったと思います。ツアーで用意された席は17日の2階席でしたので、18日の夜のステージの1階席のチケットをホテルのロビーにいるダフ屋から買いました。10ドルのチケットを幾らで買ったのか覚えていませんが。
グレーのチケットの半券が17日、黄色が18日で、ピンクは会場のホノルル・インターナショナル・センターの駐車場の半券です。
慈善公演だったのか会場は特にエルヴィスの看板も無く、チケットも全く普通のチケットで、エルヴィスの文字もありません。
17日の2階席はやはりステージからは遠く良く見えませんでしたが、それでもエルヴィスの出囃子の「ツアラストラはかく語りき」の曲に乗ってステージに現れたときは鳥肌が立ちました。およそ1時間ほどのステージはあっと言う間に終ってしまいましたが、ホテルに帰ってからも皆さんで大盛り上がり。あっちの部屋、こっちの部屋へと移動しほどんど徹夜となりました。
18日の午後のステージもあったのですが、日中はレンタカーでドライブに出掛けてしまいました。今から考えるともったいない事をしたものです。
18日の夜の部は1階のアリーナ席で前から11番目と言う、2階席よりは遙かに良いロケーションです。下の写真は18日に撮ったものです。コンサートは当然撮影禁止と思っていたので一眼レフは持っていかなかったのですが実際はフラッシュばんばんの撮り放題だったのです。ハワイ気質なのでしょうか、おおらかでした。一応持っていたコンパクトカメラで撮ったのですがほとんど全滅でした。
ショーの始まる前のステージ
実際のショー
You-tubeで探したらこの時のステージを見つけました。それも結構アングルが似ている。You-tubeスゴイです。 長いのでさわりだけでもどうぞ。
色々ありましたが、満足のツアーでした。それにしても、アルバムの写真は黄色く変色しているのに40年近く前のネガフィルム(Kodacolor-x)は結構きれいにアップできたので満足。
会場となった「ホノルル・インターナショナル・センター」はホテルから車で20分ほどのところでしたが、conta青年は車で会場に乗り付けようとレンタカーを借りたのです。写真は事前に下見に行った際撮ったもの。右側のドームのような建物が会場で、車の前に写っているのが若き日のconta青年です。今は見る影がありません。
この建物がホテルの駐車場
当時のパスポートと運転免許証
さて、肝心のステージですが、1972年11月17日の夜の部と18日の午後の部、夜の部と3回公演だったと思います。ツアーで用意された席は17日の2階席でしたので、18日の夜のステージの1階席のチケットをホテルのロビーにいるダフ屋から買いました。10ドルのチケットを幾らで買ったのか覚えていませんが。
グレーのチケットの半券が17日、黄色が18日で、ピンクは会場のホノルル・インターナショナル・センターの駐車場の半券です。
慈善公演だったのか会場は特にエルヴィスの看板も無く、チケットも全く普通のチケットで、エルヴィスの文字もありません。
17日の2階席はやはりステージからは遠く良く見えませんでしたが、それでもエルヴィスの出囃子の「ツアラストラはかく語りき」の曲に乗ってステージに現れたときは鳥肌が立ちました。およそ1時間ほどのステージはあっと言う間に終ってしまいましたが、ホテルに帰ってからも皆さんで大盛り上がり。あっちの部屋、こっちの部屋へと移動しほどんど徹夜となりました。
18日の午後のステージもあったのですが、日中はレンタカーでドライブに出掛けてしまいました。今から考えるともったいない事をしたものです。
18日の夜の部は1階のアリーナ席で前から11番目と言う、2階席よりは遙かに良いロケーションです。下の写真は18日に撮ったものです。コンサートは当然撮影禁止と思っていたので一眼レフは持っていかなかったのですが実際はフラッシュばんばんの撮り放題だったのです。ハワイ気質なのでしょうか、おおらかでした。一応持っていたコンパクトカメラで撮ったのですがほとんど全滅でした。
ショーの始まる前のステージ
実際のショー
You-tubeで探したらこの時のステージを見つけました。それも結構アングルが似ている。You-tubeスゴイです。 長いのでさわりだけでもどうぞ。
色々ありましたが、満足のツアーでした。それにしても、アルバムの写真は黄色く変色しているのに40年近く前のネガフィルム(Kodacolor-x)は結構きれいにアップできたので満足。
パンアメリカン航空機の音声 [海外旅行]
残暑お見舞い申し上げます。
記事が夏枯れのためジジイの昔話にお付き合いください。
以前ブログに載せたこともあるのですが、contaが50年前に生まれて初めて乗った飛行機が羽田発パンアメリカン航空のジャンボジェット002便でした。
子どものころパンナムが協賛していた「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組をよく見ていました。ご年配の方でしたら「パンナム」と言った通称もお判りになると思います。
ただしパンナムは1991年に倒産してしまったので若い方はご存じない方もいらっしゃるかも知れません。
パンナムに乗った理由はハワイで行われたエルビス・プレスリーの公演を見るためでした。
エルビスのハワイ公演は1973年の衛星放送が有名ですが、実は前年の1972年11月にリハーサル公演を実施したのです。
旅行の主催は日本テレビでした。
今回、50年前の当時の羽田空港から出発するパンナム機002便の音声を入手したので載せてみました。
搭乗中の羽田にて
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
離陸前機内アナウンス(英語)
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離陸前機内アナウンス(日本語)
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離陸前機長アナウンス
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機長と管制官
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機内アナウンス(英語)
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機内アナウンス(日本語)
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着陸前機長アナウンス
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着陸前機内アナウンス
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ホノルル着陸後アナウンス
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ホノルル空港の747
コンサートが開催されたホノルル・インターナショナルセンター前で借りたレンタカーと記念撮影。
バカチョンで撮ったのでボケボケですが
conta作成の「747-121」のプラモデルです。
なお、音源は服部時計店が「ビスタプラックス」と言うメガネフレームを発売した記念に作成された
レコード(ジェットサウンド)からWAV録音しMP3変換したものです。
記事が夏枯れのためジジイの昔話にお付き合いください。
以前ブログに載せたこともあるのですが、contaが50年前に生まれて初めて乗った飛行機が羽田発パンアメリカン航空のジャンボジェット002便でした。
子どものころパンナムが協賛していた「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組をよく見ていました。ご年配の方でしたら「パンナム」と言った通称もお判りになると思います。
ただしパンナムは1991年に倒産してしまったので若い方はご存じない方もいらっしゃるかも知れません。
パンナムに乗った理由はハワイで行われたエルビス・プレスリーの公演を見るためでした。
エルビスのハワイ公演は1973年の衛星放送が有名ですが、実は前年の1972年11月にリハーサル公演を実施したのです。
旅行の主催は日本テレビでした。
今回、50年前の当時の羽田空港から出発するパンナム機002便の音声を入手したので載せてみました。
搭乗中の羽田にて
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離陸前機内アナウンス(英語)
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離陸前機内アナウンス(日本語)
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離陸前機長アナウンス
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機長と管制官
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機内アナウンス(英語)
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機内アナウンス(日本語)
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着陸前機長アナウンス
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着陸前機内アナウンス
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ホノルル着陸後アナウンス
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ホノルル空港の747
コンサートが開催されたホノルル・インターナショナルセンター前で借りたレンタカーと記念撮影。
バカチョンで撮ったのでボケボケですが
conta作成の「747-121」のプラモデルです。
なお、音源は服部時計店が「ビスタプラックス」と言うメガネフレームを発売した記念に作成された
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